Mobirise Web Page Maker

WONDER EYES PREOJCT

Home >  gallery >  2000-2010 > オーストラリア2001

ユーカリの木と赤い色の大地が広がるオーストラリア北部、先住民族が暮らす小さな町ドゥーマジー。2001年、地元の学校と協力して、学校に通う子どもたちと写真教室を行なった。子どもたちは、大地に寝転んでパチリ、走りながらパチリ。自由奔放な表現。学校の壁画には、アボリジニの伝統の絵が描かれていた。クラスでは、先生が子どもたちに絵本を読み聞かせ、広げたページには、ヘビやワニ、カンガルーなどがいっぱい。動物が搭乗する昔からの言い伝えに、子どもたちが聴きいっていた(永武ひかる)

*2001年 オーストラリア先住民族の子どもたちがレンズ付きフィルムで写した写真から ※写真の下に撮影者の名前と当時の年齢

シャラとラルフ(8歳)
ダレン(6歳)
ブルース(11歳)
ステファン(8歳)
シェーン(16歳)
モニーク(6歳)
グレゴリー(7歳)
ステファン(8歳)
テオニー(8歳)
モニーク(6歳)
シンシア(10歳)
ガートリック(7歳)
スチュワート(6歳) 
モニーク(6歳) 
グレゴリー(7歳)
キリリー(11歳) 
ステファン(8歳)
ジェイソン(7歳)とルーメラ(8歳)
ディラン(7歳)+セシーリア(8歳)
マイケル(12歳)
ダレン(6歳)
アルワード(11歳)
ゲーリック(7歳)
シンシア(10歳)
ジェラルド(11歳)
シンシア(10歳)
シェーン(16歳)
リリィ(15歳)
シェーン(16歳)
ニーナ(10歳)
※オーストラリア先住民アボリジニの子どもたちが写真を写したプロジェクトについては、こちら をご覧ください

オーストラリア先住民族についてのエッセイ(2002年ワンダーアイズプロジェクト写真展パンフレットに記載)

地下水のように深く、静かに流れ続けるアボリジニの原初の文明

 by 寺地五一(「先住民族の自立を支援する会」世話役/元東京経済大学専任講師 ※2002年当時)


オーストラリア先住の民アボリジニは、赤い大地の上で、6万年以上にもわたって、天地創造の時代<ドリームタイム>の法の教えに従い暮らし、<ドリームタイム>から受け継いできた<歌>を歌い続けることによって、大地に眠るエネルギーを甦らせ、大地のいのちを守ってきました。アランダのアボリジニのあいだには、ある渡り鳥に関する歌が継承されています。彼らはこの鳥が自分たちの土地を越えて、次の土地に飛んで行くまで、数日間その歌を歌い続けます。渡り鳥が次の土地に移ると、その土地の人たちは自分たちの言葉で同じ歌を歌い続けます。渡り鳥はカーペンタリア湾まで北上し、そこから南下して、6ヶ月後にアランダの人たちの土地に戻って来ます。そして、渡り鳥とともに歌も彼らのもとに戻って来るのです。鳥たちの安全を願って大空に垂直に伸びる祈りの歌が受け渡されていくことによって、人と人、人と他の生き物、人と大地が水平につながっていく。そして、そのことによって、<ドリームタイム>のエネルギーが蘇るのです。


こんな美しい営みを続けてきたアボリジニが、オーストラリア社会の正式な市民として認められたのは、いまからわずか35年前(1967年)のことです。さらに、アボリジニ自らが6万年以上も守り続けてきた大地を所有する権利がアボリジニにあるという、至極当然のことをオーストラリアが認めたのは、わずか 10年前(1992年)のことです。どの国でも、<近代>と先住民族との出会いは不幸なものでした。


自然をいかに超克するかがテーゼだった<近代>は、自然の一部として、大地の恵みを受容して暮らす先住民族を野蛮な他者として葬り去ろうとしました。オーストラリアでも、アボリジニを白人社会に同化させるために、各地でキリスト教のミッション(伝道所)が建設され、アボリジニの子供たちを強制的に寄宿舎に入れて、厳しいと同化教育を行いました。ワンダーアイズ・プログラムが実施された、クイーンズランド州北西部のドゥーマジーというコミュニティは、そうした不幸な歴史を一身に背負ったような町です。5つの部族が寄せ集められて暮らしているこのコミュニティは、90パーセントを越える失業率、アルコール・ドラッグ中毒の蔓延、頻繁に起こる若者の自殺などで、絶望的な状態にあります。長年にわたる、過酷なミッション支配は彼らから自立の力を奪ってしまいました。マスコミからは「死の町」と呼ばれています。しかし、伝統と切り離され、生と死のはざまを漂っているように見えるドゥーマジーでも、<ドリームタイム>の教えや大地との絆がまったく失われてしまったわけではありません。災いを警告してくれる小人の存在や、突然空から現われて、人間を襲う恐ろしい光バリバリの存在を彼らは本当に信じています。海鷲が運んだ種子から育った二本の椰子の木があるところに行けば飲み水があるという言い伝えどおりに、二本の椰子の木が生えている地中には真水の地下水が流れています。町で荒んだ生活を送る若者も、自然のなかではくったくなく生き生きとしています。ブッシュを歩く老人は、まわりのさまざまな自然にゆっくりと語りかけています。複雑な親族関係も一部ながら生きています。原初の文明はいまも地下水のように深く静かに流れ続けているのです。彼らの生き方が、本当に人間らしい生き方だからこそ、さまざまな抑圧や困難に耐えながらも生き続ける強靭さ秘めているのだと、ドゥーマジーを訪れるたびに思い知らされます。アボリジニの子供たちが撮った写真は、そうしたコミュニティの様子、子供たちの暮らしや自然を見事に映し出しています。

Home  > gallery > 2000-2010 >  オーストラリア2001